今度カレー食いに行きましょう

日記用のアカウント

220330

3月も終わりですよと
なんかこう、具体的に書き出すとやっぱ困ることがないというか
あいもかわらず進捗は牛歩ですが、まあ、何ができてないかを1日に具体的に振りかえれるのはありがたいことですよ。

今日はYoutubeの音MADを重点的に見ていました。
作りとしてちょっと気になったのは、「小窓」と呼ばれるものへの扱いですね。
結構、ニコニコに上がるような動画とは配置の考え方が違っていると思います。
というのも、背景のある情景がパターン模様のように反復されて配置されていることって、どちらかというとそれが素材として平坦に扱われている……という印象なわけです。
まあ、ある意味ストイックに「音声同期の装置」として扱っている感じですかね。
その情景にいるキャラクターに遠慮なくトリミングしたり、その上で反転させることができるというか。
で、その切り抜かれた情景を文様として敷き詰めて空間をつくる。
「素材を活かす」といっても何も素材のシーンを引き立てるだけではなく、素材を組成物とみなし空間を構築するやり方もあるんだなあと思いました。
五郎丸ツイストの投稿者さんとか、VRでの動画展開を見るとその印象もより強くなります。
まあ、簡単にいうと容赦のない加工というか。キャラクターを大胆に分断したり拡大したりフィルターを乗せたりしているから面白いわけですね。
投稿者の工夫をどれだけ詰め込めるかが評価軸の世界なんだと、ちょっとばかし輪郭をつかむ機械になったと思います。

周りが自然で、「街」に対して抵抗がある……という話も今日はしました。
まあ、話を聞く限り夜の繁華街を歩いたということなので、それは都会に住んでいる人も大方は警戒するかなとは答えたんですが。
それにしても思い返せば上京してから今までこの東京の情報量には未だ慣れないところがあります。
特に電車なんかはストレスフルな空間ですね。情報量が否が応でも入ってくる。
自分なんかは外界から閉じこもれるように音楽を聞いていないと気を保てないわけですが……。これって防衛行動に近いと思います。
労働が始まって自分を楽にするために工夫している人もいますしね。自分の身は、自分で守るということでしょうか。それにしたって朝の寺の真ん中で大声で叫ぶのは行き過ぎたところもあるかもしれませんが……。
でも、こんな狂った街自分で結界を貼らないとやってられませんよ。

超・こじつけですが、この「結界」の考え方がさっきのYTPMV系の映像にも当てはまらないかなあ〜と……
既存の情報を組成して自分のテリトリーを展開する、この考え方を「結界」と呼びたいと思います。

ああなんかブログをノートPCで書くようにするとつい長くなりますね。
逆にいうと今までスマホで書いてたのがなんと煩わしいことかと思います。
てか、隣の人の声めっちゃ聞こえるんですけど、俺マジになんで怒られないんだ?
寝ます。